先日、健診の上部消化管内視鏡で珍しい症例がありました。胃の噴門から幽門まで小彎大彎とも(上から下まで前も後ろも)密度は均一で方向が不規則なたくさんの“びらん”を認めました。びらんは急性の粘膜表面の障害を意味します。上部内視鏡では十二指腸水平脚(図の矢印の部分)まで観察しますが、同様のびらんが十二指腸でも球部、下行脚、水平脚にも存在しました。通常、食事、アルコール、胃酸、薬剤などの要因による障害は十二指腸球部までに存在し、下行脚、水平脚が影響を受けることはありません。また、それらによる障害は均一でなく、部位によって差異があるという特徴があります。十二指腸水平脚にびらんがあったということは、同様の障害が以遠の空腸、回腸、大腸にも存在していた可能性を示唆します。食道粘膜には内視鏡観察では異常を認めませんでしたが、胃粘膜、十二指腸粘膜が単層円柱上皮で覆われるのに対し、食道粘膜は重層扁平上皮で覆われ丈夫なので、組織レベルで障害があっても内視鏡による観察では捉えられなかった可能性があります。以上より、内視鏡検査の数日前に消化管全体に障害を起こすような事象があったと推測されます。
内視鏡終了後受診者に聞いたところ、2日前に3時間半でフルマラソンを完走したとのことでした。また、毎回フルマラソンを完走後数日は胃の調子が悪く、最初にフルマラソンを完走した時は黒色便が出たとのことでした。消化管に特別な基礎疾患は無いので、今回確認されたびらんはマラソンと関連していると考えられます。フルマラソン3時間半のスポーツマンで見られた所見なので、大変驚きました。
今回の所見は、運動誘発性胃腸症候群(exercise-induced gastrointestinal syndrome)*に該当すると思われます。強度の強い運動をすると、骨格筋への血流が増加して腸管への血流が減少して、腸の粘膜が虚血状態になります。それによる粘膜障害が起こます。また、腸管は一層の単層円柱上皮に覆われていますが、虚血により上皮を構成する細胞間の“目張り”(tight junction)に障害がでて、腸管内の細菌や細菌毒素(endotoxin)が全身に廻ることも起こります。口腔から始まり肛門で終わる消化管は、体の内部に存在する外界ですので、腸管上皮が“漏れやすく“なるのは重大な問題です。虚血以外でも、運動に伴う交感神経の亢進による腸管運動の低下による消化不良も相俟って、様々な症状が出ることがあります。運動誘発性胃腸症候群が起こる運動強度と時間の目安としては、“≥ 60%VO2max (個人における最大の運動強度の60%)、2時間”とされています。
運動が健康に良いのは明らかですが、許容できる強度内と時間内で行うのが無難のようです。
* Systematic review: exercise-induced gastrointestinal syndrome—implications for health and intestinal disease R J S Costa et al, Aliment Pharmacol Ther 2017;46:246–265
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